「石綿セメント管」の版間の差分

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[[1931年]]([[昭和]]6年)の[[満州事変]]などの影響で、軍事・工業用途での鉄材価格の急騰が始まっていた[[大日本帝國]]も例外ではなく、同年2月に日本エタニットパイプ社が設立され、翌年より伊エーテルニット社から技術導入する形で石綿セメント管の製造が開始された<ref name="tanuki"/>。当時の日本では大都市圏で[[水道]]事業が急速に推し進められたこともあり、石綿セメント管の需要は国産化直後から旺盛で、日本エタニットの[[株価]]は[[昭和恐慌]]後の[[インフレーション]]下でも注目に値する高騰を呈した<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00078757&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA インフレに躍り出た新興事業の再検討 鉄管に代るもの 伊太利で発達の新興製品エタニットパイプ - 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 新聞記事文庫] [[神戸又新日報]] 1934.4.28(昭和9)</ref>。石綿セメント管は[[日本水道協会|社団法人水道協会]]により各種の規格制定が行われ、[[1938年]](昭和13年)には'''秩父セメント'''(現:[[太平洋セメント]])も石綿セメント管事業に参入した<ref name="tanuki"/>。
 
[[1931年]]([[昭和]]6年)の[[満州事変]]などの影響で、軍事・工業用途での鉄材価格の急騰が始まっていた[[大日本帝國]]も例外ではなく、同年2月に日本エタニットパイプ社が設立され、翌年より伊エーテルニット社から技術導入する形で石綿セメント管の製造が開始された<ref name="tanuki"/>。当時の日本では大都市圏で[[水道]]事業が急速に推し進められたこともあり、石綿セメント管の需要は国産化直後から旺盛で、日本エタニットの[[株価]]は[[昭和恐慌]]後の[[インフレーション]]下でも注目に値する高騰を呈した<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00078757&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA インフレに躍り出た新興事業の再検討 鉄管に代るもの 伊太利で発達の新興製品エタニットパイプ - 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 新聞記事文庫] [[神戸又新日報]] 1934.4.28(昭和9)</ref>。石綿セメント管は[[日本水道協会|社団法人水道協会]]により各種の規格制定が行われ、[[1938年]](昭和13年)には'''秩父セメント'''(現:[[太平洋セメント]])も石綿セメント管事業に参入した<ref name="tanuki"/>。
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その後[[支那事変]]([[日中戦争]])を経て、[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])へと至る[[戦時体制]]下に於いて、石綿セメント管は鉄材の在庫が逼迫して製造困難となる鋳鉄管や、同じく[[竹筋コンクリート]]といった代用品への転換で供給困難となる[[鉄筋コンクリート]]が必須となる[[ヒューム管]]などの代用品の決定打と位置付けられ、[[商工省]]でも盛んに研究が行われた<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00485310&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null 戦時経済の実相 (1~14・完) 本社記者の解説問答 - 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 新聞記事文庫] [[東京朝日新聞]] 1938.7.19-1938.8.2(昭和13)</ref>。
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[[1945年]](昭和20年)の[[日本の敗戦]]後も、戦後復興下で鉄材の供給不足はなお続いたため、製造が容易で安価な石綿セメント管は戦前戦中に引き続き水道管として広く用いられた。この時期、戦後の世界経済の混乱で良質な石綿の輸入が困難となり、石綿セメント管の品質低下が危惧されたことが契機となり、[[日本工業規格]](JIS)にて旧来の水道協会規格を下敷きに、配合する石綿の品質基準を定めた[[JIS A 5301]]「水道用石綿セメント管」が制定された。この時、それまでの代名詞であったエタニットパイプが公式に「石綿セメント管」として呼び替えられるようになり、配合される石綿の比率は1:5(1種管)から1:6(2種管)、品質は最低でも[[カナダ]]石綿規格グレート4相当以上であることが制定された。
  
 
== 製法 ==
 
== 製法 ==

2021年1月23日 (土) 11:20時点における版

石綿セメント管(せきめんセメントかん)とは、セメントアスベストを混合して製造した繊維セメントEnglish版の一種である石綿セメントを用いたコンクリート製のである。一般的に水道管灌漑用水を始めとする導水管として用いられた。

日本では、昭和初期にイタリアより製造特許を導入した日本エタニットパイプ株式会社(日本エタニット/1931年創立)の製品が石綿セメント管の代名詞であったことから、エタニットエタパイなどとも呼ばれる。英語略称はACP(Asbestos Cement Pipe)である[1]

日本エタニットパイプ株式会社はその後、1988年(昭和63年)10月に「ミサワリゾート株式会社」、2005年(平成17年)に「リゾートソリューション株式会社」、2016年(平成28年)にリソルホールディングスと相次いで商号を変更している。

歴史

石綿セメント管の原材料である石綿セメントは、1900年明治33年)に、オーストリアのルードウィッヒ・ハチェックによって石綿とセメントを1:9の比率で混合した原料を水溶し、厚紙製造機を用いて板状に成型するスレート材の製造法が発明され、永遠(に強度を保つ永久構造物)の意のエタニット(Eternit)English版の名称(商標)で特許が取得されたことにより、世界的にその名が知られるようになった。

ハチェックはヨーロッパ諸国にこの特許を販売し、このうちの1社であったイタリア王国のエーテルニット社が1914年大正3年)に石綿セメントを用いた管材の開発に成功し、エタニットパイプとして販売を開始した[1]。石綿セメント管は当初は当時主流であったねずみ鋳鉄を用いた鋳鉄管よりも耐圧強度が高く、が発生せず耐薬品性も高いとされ、工業化戦争などの影響で世界的な鉄材不足に喘いでいた列強諸国にて鋳鉄材の代用品として注目が集まった[2]

1931年昭和6年)の満州事変などの影響で、軍事・工業用途での鉄材価格の急騰が始まっていた大日本帝國も例外ではなく、同年2月に日本エタニットパイプ社が設立され、翌年より伊エーテルニット社から技術導入する形で石綿セメント管の製造が開始された[1]。当時の日本では大都市圏で水道事業が急速に推し進められたこともあり、石綿セメント管の需要は国産化直後から旺盛で、日本エタニットの株価昭和恐慌後のインフレーション下でも注目に値する高騰を呈した[3]。石綿セメント管は社団法人水道協会により各種の規格制定が行われ、1938年(昭和13年)には秩父セメント(現:太平洋セメント)も石綿セメント管事業に参入した[1]

その後支那事変(日中戦争)を経て、大東亜戦争太平洋戦争)へと至る戦時体制下に於いて、石綿セメント管は鉄材の在庫が逼迫して製造困難となる鋳鉄管や、同じく竹筋コンクリートといった代用品への転換で供給困難となる鉄筋コンクリートが必須となるヒューム管などの代用品の決定打と位置付けられ、商工省でも盛んに研究が行われた[4]

1945年(昭和20年)の日本の敗戦後も、戦後復興下で鉄材の供給不足はなお続いたため、製造が容易で安価な石綿セメント管は戦前戦中に引き続き水道管として広く用いられた。この時期、戦後の世界経済の混乱で良質な石綿の輸入が困難となり、石綿セメント管の品質低下が危惧されたことが契機となり、日本工業規格(JIS)にて旧来の水道協会規格を下敷きに、配合する石綿の品質基準を定めたJIS A 5301「水道用石綿セメント管」が制定された。この時、それまでの代名詞であったエタニットパイプが公式に「石綿セメント管」として呼び替えられるようになり、配合される石綿の比率は1:5(1種管)から1:6(2種管)、品質は最低でもカナダ石綿規格グレート4相当以上であることが制定された。

製法

上記JIS規格に準拠した品質・配合比の石綿セメント混合液をフェルト布地に0.1から0.2mm厚で塗布し、その後円柱状の芯金に加圧しながら所定の厚さまで巻き付けることで管体として形成される。芯金を取り外した後は水中またはオートクレーブで養生される[1]

後継製品

前記の製造法の原則をほぼ踏襲した製品として、強化プラスチック複合管(FRPM管、強プラ管)が製造されている。強プラ管は前記工程の心材をフェルト布地からガラス繊維に、塗布材を石綿セメント混合液から熱硬化性樹脂に置き換えたもので、繊維強化プラスチック(FRP)に分類される材質となる[5]。強プラ管はヒューム管に類似した遠心成形法や、管材以外のFRP製品に採用例の多い引抜成形法(プルトルージョン法)を用いる場合もある[6]が、ガラス繊維の布地の代わりに糸材を用いて巻き付け成形するものが主流で、こうした製法によるものをフィラメントワインディング管(FW管)とも呼ぶ[7]

強プラ管は石綿セメント発祥の地であるオーストリアに本社を持つホーバスEnglish版で開発され、石綿セメント管の弱点であった経年劣化の問題を克服した製品でもあるため、日本エタニットやクボタなど元は石綿セメント管の製造を手掛けていた企業でも製造が行われている。特に日本エタニットに於いては、石綿セメント管の需要の終息に伴い1981年(昭和56年)よりホーバスパイプの商標で製造を開始し、石綿セメント管事業から撤退しリゾート部門への傾注が進んで以降は、管渠部門のみが日本ホーバスとして旧日本エタニットの事業を引き継ぐ形で独立した[8]

強プラ管は石綿セメント管と同様に強い耐薬品性や耐圧性を有するため、水道管がダグタイル鋳鉄などに主流が移って以降も、石綿セメント管が強みを発揮する領域であった温泉水や、腐食性廃液の排水管などの導水分野で現在 いつ?も活用されている。しかし、皮肉なことに普及初期の強プラ管は「心材となるガラス繊維に石綿を用いていた」ために、これらの旧製品の撤去に際しては石綿セメント管と同様の安全対策が求められることともなっている[9][10]

脚注

参考文献

  • JIS A 5301「水道用石綿セメント管」(1950)

関連項目

外部リンク